2008年06月12日
戦うこと
今回の、秋葉原の連続殺傷事件。被害者のご冥福、心からお祈りします。
さて、セカンドライフは自由で皆がそれぞれのたのしみを見つけている。
しかしリアルじゃない故に、リアル以上に高度なルールやマナーを発揮してこそ成り立つ自由な世界なのだと思う。
そんな中で、じゃぱらんどでいま、レジェンドってゲームが開催されている。
ただ行動したり物を買う着る使うではなく、そこにオリジナルのHUDを導入して、アバターの内面を具体的な数値化することでより深く楽しもうというハタケ氏の試みなのだ。
おもしろいね、とてもいいと思う。
たださー、戦って死んだら回復という、RPGゲームの要素も含まれてるんだよね。
でさ、よく行かせてもらっているお店の店員さんがやってるみたいで、話していたら胸が苦しくなって皮肉を言って気分を害させてしまったよ。
簡単にいうとこうさ。
オイラにとって、数値を上げるためのバトルは、自分の欲望のためって捉えてしまうのだ。たとえジャンケンだとしてもそれは剣を振りかざしているのと同じさ。
だからそれは、(悪い意味での)フリーセックスみたいなもんだって言ったのだ。思わず皮肉が言いたくなった。
したらば、関係者の前で言ったら、BANされるよって警告された。
うむ、人が不快に思うことをいう人がBANされるのは、そらそだよね。
だからやってもいないおいらが、そのゲームのあり方を理解しないうちに非難はできないよね。だからおいらは店員さんに謝ったのだ。
ただ、おいらのゲームに対する違和感が消えない。
だから、HUDをゲットしてやってみることにしたよ。
違和感って?
そう、気軽にバトルする事さ。
だからおいらはポケモンが嫌いなのさ。ポケモン見ていても、子供が本当に戦わねばならぬ相手が見えるように成長できると思わないし、むしろ害があると思ってる。
おなし戦うゲームであるスポーツとは、なにか違う物がある気がしてならない。
それがおいらのうまく説明できない違和感。
むぅ。
先日もう一人の店員さんにも変なこといってしまったおいら。
うぅ 未熟だのー修行しないとな。
うぅ…
さて、セカンドライフは自由で皆がそれぞれのたのしみを見つけている。
しかしリアルじゃない故に、リアル以上に高度なルールやマナーを発揮してこそ成り立つ自由な世界なのだと思う。
そんな中で、じゃぱらんどでいま、レジェンドってゲームが開催されている。
ただ行動したり物を買う着る使うではなく、そこにオリジナルのHUDを導入して、アバターの内面を具体的な数値化することでより深く楽しもうというハタケ氏の試みなのだ。
おもしろいね、とてもいいと思う。
たださー、戦って死んだら回復という、RPGゲームの要素も含まれてるんだよね。
でさ、よく行かせてもらっているお店の店員さんがやってるみたいで、話していたら胸が苦しくなって皮肉を言って気分を害させてしまったよ。
簡単にいうとこうさ。
オイラにとって、数値を上げるためのバトルは、自分の欲望のためって捉えてしまうのだ。たとえジャンケンだとしてもそれは剣を振りかざしているのと同じさ。
だからそれは、(悪い意味での)フリーセックスみたいなもんだって言ったのだ。思わず皮肉が言いたくなった。
したらば、関係者の前で言ったら、BANされるよって警告された。
うむ、人が不快に思うことをいう人がBANされるのは、そらそだよね。
だからやってもいないおいらが、そのゲームのあり方を理解しないうちに非難はできないよね。だからおいらは店員さんに謝ったのだ。
ただ、おいらのゲームに対する違和感が消えない。
だから、HUDをゲットしてやってみることにしたよ。
違和感って?
そう、気軽にバトルする事さ。
だからおいらはポケモンが嫌いなのさ。ポケモン見ていても、子供が本当に戦わねばならぬ相手が見えるように成長できると思わないし、むしろ害があると思ってる。
おなし戦うゲームであるスポーツとは、なにか違う物がある気がしてならない。
それがおいらのうまく説明できない違和感。
むぅ。
先日もう一人の店員さんにも変なこといってしまったおいら。
うぅ 未熟だのー修行しないとな。
うぅ…
Posted by din at 14:57│Comments(2)
│SLを考察
この記事へのコメント
なるほど分かるような気がします。
あたしは小さい頃から武道が好きだった。
何故かというと、戦うべき時と戦うべく相手が見えるようになるからだ。
あたしにとって「戦い」は、いつも真剣勝負。
それを「Game」にはとても出来ないのだ。
そういう「遊び」を否定するつもりは無いけど、あたしは「遊び」で戦うことは出来ない。
そして戦うときは愛する誰かを「守る」時だし、その戦いはいつも「真剣勝負」なんだ。
気楽に「戦う」ことは、あたしには出来ない。
そういう「気分」にもならないんだ。
あたしは小さい頃から武道が好きだった。
何故かというと、戦うべき時と戦うべく相手が見えるようになるからだ。
あたしにとって「戦い」は、いつも真剣勝負。
それを「Game」にはとても出来ないのだ。
そういう「遊び」を否定するつもりは無いけど、あたしは「遊び」で戦うことは出来ない。
そして戦うときは愛する誰かを「守る」時だし、その戦いはいつも「真剣勝負」なんだ。
気楽に「戦う」ことは、あたしには出来ない。
そういう「気分」にもならないんだ。
Posted by ナビ at 2008年06月13日 22:47
うんうん
やっぱ 刀を持って歩いてるんだよ.
日本にある「道」というものはすべて志というか、
真剣勝負なのであって.
だからSLだって真剣だわねえw
ほんとSLは、いかようにも取り組めるね.
おいらにとってはかなり頭を駆使する、
脳フル回転の活動かな.
まったりの時はエンドルフィンどばどばーとかねw
やっぱ 刀を持って歩いてるんだよ.
日本にある「道」というものはすべて志というか、
真剣勝負なのであって.
だからSLだって真剣だわねえw
ほんとSLは、いかようにも取り組めるね.
おいらにとってはかなり頭を駆使する、
脳フル回転の活動かな.
まったりの時はエンドルフィンどばどばーとかねw
Posted by din
at 2008年06月14日 08:57
